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2006年4月15日 (土)

なぜ人名なのか?

あっという間に飽きそうな気がしていたのですが、なんだかんだでこのブログも3ヶ月続きました。ここでちょっと原点に戻ってみたいと思います。栗本薫さんの作品を人名から読み解く! というのが「人名長者の館」のテーマなのですが、ではなぜ「人名」なのか、ということについてです。

まゆら、という、ふしぎなひびきをもった名もまた、この夢の中からたちあらわれたような、この世ばなれのした少女には、これ以上に似つかわしい名は考えられぬ──この不思議な蝶の化身に、雪とか花とか、ましてやお加代、お美代とかいったありふれた名がついていることなど、冒涜にひとしいのである。(『魔剣 玄武の巻』より)

「名というものは、想像以上に真実にちかい。(略)」
「じゃ、おれの名は? 安西──これにも何か意味がありますかね?」
「あるとも、自分で勝手につけた名でないかぎり必ず意味がある。安西。重大な名だよ。」(魔界水滸伝 3」
「名前、という、生まれながらに人を決定する巨大な運命にさからうことはできん。」(「魔界水滸伝 8」)

「いったい、あなたのような人に、村瀬、という名字に、ふさわしい、ぴったりくる名前っていったいどんなんだろうってね。和夫とか秀夫とかっていうんだったら、ぼく驚きますよ。……一郎とか二郎でもたまげますよ。……薫とか光とか、それこそヤオイ小説にでてきそうな名前だったら、ぴったりだと思うけどますます現実感はうすれますよね。……でも、雅彦とか、秀樹とかいうのも想像がつかないし。といって、まあ、ジョウとかケンとかねえ……」(『TOMORROW』より)

「ひさこ、はどう書くのだろう。久子、だとは思えなかったし、寿子とか、尚子、というのも、あまりにも平凡で目の前のこの妖しい緑色の着物に包まれた不思議な花には似つかわしくなかった。友納、という名字のほうは、伊集院大介は気に入った。この女性がまた、鈴木さんだったり高橋さんだったり山田さんだったりするわけはない、と思えたのだ。」(『女郎蜘蛛』より)

『魔剣』は1980年の作品で、『女郎蜘蛛』は2005年の作品です。このどちらにも「人にはふさわしい名前がある」というコンセプトが流れているというのが、栗本薫さんの作品なのだとおもいます。その中で作品の中で性格付けをされてる主人公にどのような名前がつけられるのか、またその他大勢にどのような名前がつけられるのかは作品を読み解く上で重要な部分だと思うのです。

ということで今日も私は付箋片手に栗本薫さんの作品に読みふけるのでした。

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